MCUの話をするブログ

どうも

この記事は、MCU好きのキモオタがMCUの話をする記事です。
MCU見ようと思ってるひとが見てくれるとうれしい。
あとはMCU見てる人に「こいつわかってるな」って思われたい。
そういう記事です。


ブラックウィドウみまして。
映画観た後に映画のテーマについて考えるのがすきなんですけど、この映画結構深めな話してそうなんです。
「意志ってのはなんだろうか」って話で、そうなると他の作品のテーマのさらに手前になってきて。
すると昔の作品のテーマを考え直したくなってきましたし、その話を記事にしたくなりました。
ので、それをします。

とりあえず、ぱっと思い出せるやつをやります。キャプテンアメリカとアイアンマンとブラックパンサーです。
これらって割りとMCU全体に関わるので、振り返るにはちょうどいいと思います。


この作品は全部「正しいってなんだろう」ってテーマな気がします。
しかも全部「自分vs悪いバージョンの自分」って構図です。ありふれた構図ではありますけど。
だから観た後に感じることも似てるんですけど、結論が少しづつ違います。
それぞれ
キャプテンアメリカでは「正しい精神に基づく行動が正しい」
・アイアンマンでは「良い結果を生むことが正しい」
ブラックパンサーでは「過ちを認めることができることが正しい」
という結論になっているように思ってます。
さらに、これらのテーマは互いに関係しており、キャプテンアメリカとアイアンマンのテーマは互いに食い違い、しかしそれをブラックパンサーが完成させるイメージです。
具体的に話してきます。

キャプテンアメリカのはなし
キャプテンアメリカの一作目は、要約するとスティーブくんは高潔な精神を持っていて、だからヒーローで、邪悪な精神をもつレッド・スカルくんはダメって話です。
これはキャプテンアメリカの作品群に一貫していて、明らかに世界のバランスを崩すパワーを持ってても、精神の良し悪しでそれを正当化するって感じがあります。
でもMCUの中でこの考えの欠点が指摘されてて、例えば洗脳されて悪事働いてたバッキーはダメじゃね?ってなったりとか、ヒーローとして正しくあるためには市民の管理下いない必要があるけどそれって危険じゃね?みたいなことが出てます。ウケますね。

・アイアンマンのはなし
アイアンマンは、技術は人のために使えば正義だしそうじゃなきゃ悪だよって話です。これもキャプテンアメリカ同様、アイアンマンの作品群に一貫してます。
この考えもMCU内で欠点が指摘されてます。正義のために作ったウルトロンくん暴走して人に危害加えてるけどやばない?とか。正しい結果に重きを置きすぎると結局アクション起こせなくない?とか。

ブラックパンサーのはなし
前述の2つの話の妥協案というか、仲を取り持ち同じ方向に向かせてるのがブラックパンサーです。ちょうど初出もシビルウォーだし。
ブラックパンサーでは、なにか間違いをしたらそれを認めて正すことこそ正しさであるという話をしています。
その基でキャプテンアメリカとアイアンマンの正しさが共存するようになってるんです。
シビルウォーでは父親殺しの黒幕を殺さず、ブラックパンサーでは国を転覆して世界征服しようとしたキルモンガーと和解してます。
そもそもブラックパンサー単独映画では、ブラックパンサー自身が悪い側に立ってたこともあり、罪を憎んで人を憎まずというか、反省やら許しやらが根底に流れていますね。
エンドゲームでも最初に助けに来るのブラックパンサーですし、MCUの最初10年の答えになっている気がします。
ブラックパンサーかっこいいね。
続編たのしみだけど、俳優死んじゃったんだよなあ。

話し終わりました。
まんぞく。
こう見ると、なんかブラックウィドウの話って深そうな気がしませんか?
なのでみんな観てくださいね。

おわり

文責:すぎやま