ドラゴンクエストライバルズ DCGとキャラゲーの狭間

どうもすぎやまです。

 

色々な人のブログを見ていて、自分も書きたくなったので久しぶりにブログを書いています。

 

さて、皆さん「ドラゴンクエストライバルズ」を覚えていますか。ハースストーンがつき、シャドウバースがこねたDCG餅、それを食わんと颯爽と現れたライバルズ。サービス開始直後から「対戦ができない」というDCGにあるまじき失態をやらかしたライバルズ。そんなライバルズも、早いもので三周年を迎えております。

 

そのライバルズですが、私が見るかぎり、周りのプレイヤーは減っていく一方です。ずーっとやっている人はいても、新たにやり始める人はいない。ずーっとやっている人も、言ってしまえばうっすら続いている程度であり、ギルド(ゲーム内のチームのようなもの)を見ても同時ログインはなかなか発生しないありさまです。

 

なぜこうなってしまったのか。私から見れば、ライバルズはカードゲームとして完成度が高く、かつキャラゲーとしての出来も非常によいゲームでありますが、それなのになかなか裾野が広がっていかないのは、見ていてむずがゆいものです。

時折ライバルズ仲間とこのことについて話すことがありますが、その会話を通じて、ライバルズが広がっていかない理由についていくつか理解したことがあります。

今回のブログではそれを2つの視点から示していこうと思います。

 

 

1.DCGとしてのライバルズ

先ほどライバルズを「カードゲームとして完成度が高く、かつキャラゲーとしての出来も非常によいゲーム」と評しました。実際カードゲームとしての完成度は高いと思っています。2~3弾に1回「このデッキ頭イカれてやがんな、やってて面白いかこのゲーム」みたいなデッキがありますが、基本的には2~3種類のデッキがtier1として環境におり、かつ多数いるtier2のデッキでも十分面白い対戦ができ、またナーフも適切であるため、全体として楽しめております。

ブロックやテンションスキルといったゲームシステムも相まって、ライバルズは「小技が光るミッドレンジが強い環境のゲーム」に収束しやすくなっているのでしょう。面の取り合いやライフを詰めにいくタイミングがモノをいう良ゲーに仕上がっており、カードゲーマーの方々には楽しめるものであろうと思います。まあたまにイカレアグロデッキやアホボケコンボデッキが出ますけど。さらにいえば今はクソカスコントロールが跳梁跋扈してますけど。

ともかく、ライバルズは考えることも多く、またそれらがしっかりと結果に反映されるため個人的にはよい「カードゲーム」と思います。

 

しかしそれは「カードゲーム」としていいのであって「DCG」としていいとは言えないのだろうなあと思います。

 

いい「DCG」であることとはなんであろうか。考えるにそれは手軽であることです。

スマホが主戦場になりつつあるDCGにおいて、手軽であることはあまりに大きな強みです。ゲームが手軽であること、デッキ構築が手軽であること、カードの入手が手軽であること。

はっきり言えばゲーム内容そのものよりも手軽さのほうがDCGの面白さに大きな影響を与え、そしてこれこそがライバルズに足りないのでしょう。

ゲームは面白い、でも長くて疲れるのであればDCGには向かないのです。なぜなら手軽でないから。

 

さらにいえばライバルズはカードの入手があまりに手間であります。しょっぱいログインボーナス、配布されるパックの少なさ、マイレージ(ゲームをすることでポイントを貰えるシステム、パックやお金がもらえる)終盤の景品のしょぼさは異常です。

しかしもっと問題なのはヒーローカード(ライバルズのデッキ構築において最も肝となるカード、デッキのギミックそのものに関わる)の入手方法です。

デッキ構築の中核をなすカードの入手方法が「出るかわからんけどパック剥くor1枚につき2400円課金する」なのは致命的です。そりゃ既存のプレイヤーはゲームの面白さがわかってるからついていきますけど、新規のプレイヤーにとっては「このゲームはやらないかな…」と判断するのに十分な材料でしょう。

 

この点シャドバってすごいんですよね。昔やっていた時の感覚だと結構パックばらまいてくれた印象です。なんやかんやレジェンドも複数枚デッキに入るから総じてみれば配ってる量に大差はないのかもしれませんが。

まあそれにしたってライバルズはカード入手しにくいですし、ライバルズはこの点を解消しないことにはシャドバには追い付けなさそうです。

 

 

2.キャラゲーとしてのライバルズ

キャラゲーに求められるものは、例えば「原作の名シーン再現」だったり「原作を思い起こさせるキャラ同士の掛け合い」だったりすると思います。原作が好きな人が、その原作の雰囲気を楽しむために、それでいて原作では見れなかったものを見るためにやるのがキャラゲーであろうと思います。

その点においてライバルズは最高です。キャラゲーの最高峰とすら言えます。

 

カードの効果が最高です。りゅうおうの効果しってますか?「死亡時:変身する」とかいうんですよ。メルビンの効果しってますか?「死亡時:ホットストーンに封じられ自分のデッキの上から3番目に置かれる」とかいうんですよ。カードの効果が原作を意識して作られているから効果見ているだけで笑顔になれるんですよ。

 

キャラの掛け合いが最高です。原作で関係があるやつらがゲーム内で掛け合いし始めるんですよ。イレブンがいるときにウルノーガ出すと「勇者と共闘すんのか…」みたいなこと言いやがるんですよ。ピサロ相手にエビルプリースト出すと「ロザリーの件ばれちまったな」みたいなこと言いやがるんですよ。もちろんほかのキャラも状況に応じて色々会話してくれますし、掛け合いが聞けるとそれだけで笑顔になれるんですよ。

 

BGMが最高です。最高レアリティのカードは、カードを場に出した時点で原作のBGMが流れる使用になっています。これがまあテンション上がるんですよね。特に魔王カードやヒーローカードは試合を大きく傾けるようなカードなんですが、こいつらを出すとラスボス戦のBGMだったり作品を象徴するBGMが流れたりするんですよ。ライバルズっていうゲームはこういうBGM聞いてるだけで笑顔になれるんですよ。

 

でもこれらを楽しむためにはDCGが楽しめないといけません。上に挙げた要素は対戦内の要素なので、当然DCGができなければ堪能できません。そうなってくるとDCG要素って結構重いんですよね。ドラクエキャラゲーやりたいけどDCGやったことのない人に「これやってみ、キャラゲーとして最高だよ、やってみてよ」と言おうにも、やっぱりDCG要素があるからあまり勧められないんですよ。

しかも先述の通りカード入手しにくいゲームですから、「このキャラとこのキャラの掛け合いが見たい!」ってなったとしてもカードがないからその状況が作れないとなる可能性が高い。仮にカードが手に入っても、対戦の中でその状況を作るのは難易度が高いこともある。さらに言えば「相手に特定のキャラがいる際の掛け合い」は対戦相手のデッキ構築に依存してくるため、こちらが万全に準備しても見ることができるかは運任せときた。

そうなってくるともうキャラゲーとしては勧められません。「Youtubeで見るわ」と言われたときに「それが丸い」となるのです。

 

 

こんな感じなので、ライバルズって人に勧めにくいゲームなんですよね。そりゃ裾野が広がるわけもない。「ヘビーなDCGがやりたくて、しかもドラクエ大好きで、課金に抵抗が全然ないけど、なんかいいゲームないかな~」って人がいたら勧められます。でもそうじゃないと勧めようとすら思いません。DCGが好きな人にも、ドラクエが好きな人にも勧められるよ!が理想でありますが、現実はその両方が満たされていないと勧める選択肢にも上がらないのです。そりゃ新規がふえるわけもない。

「ヘビーなDCGがやりたくて、しかもドラクエ大好きで、課金に抵抗が全然ないけど、なんかいいゲームないかな~」ってひとがいたら私に連絡ください。ライバルズのプレゼンしに行きます。

D・HEROの話

我々世代は遊戯王と共に育った。遊戯王に育てられたと言っても過言ではない。

水曜日は6時30分に遊戯王GXを見て、土曜日の朝は遊戯王デュエルモンスターズの再放送を見た。友達と遊ぶときには常にデッキを持ち歩き、何かにつけてはデュエルしていた。公園でもデュエルしていた。もはや中毒。

そんな生粋の遊戯王キッズであった人間なら必ず記憶に残っているカードやカテゴリーがあるだろう。遊城十代に憧れてE・HEROが好きだった人もいるだろう、ブルーアイズホワイトドラゴンやレッドアイズブラックドラゴンといったかっこいいドラゴンに心奪われた人もいるだろう、ブルーアイズアルティメットドラゴンやサイバーエンドドラゴン、三幻神、三幻魔といったとんでもない攻撃力に惹かれるのは誰もが通る道かもしれない。

そんな中俺はDHEROというカテゴリーに惹かれた。それはもう強烈に惹かれた。惹かれすぎてブログを開設して文章を書いている。時間は12時30分を回ろうとしている。

DHEROの魅力を語るには遊戯王GXの話をしなければならない。遊戯王GXにおいて、主人公でありE・HEROデッキ使用する遊城十代は無敵であった。どんなに不利な状況であっても、どんなに相手が強力であっても、決して負けることはなかった(多分)

そんな遊城十代の元に颯爽と登場したのがエドフェニックスである。主人公と同じE・HEROデッキを使用しながらもそのエースカードは主人公とは違う。遊城十代を正義のE・HEROとするならエドフェニックスは悪のE・HERO。このミラーマッチに当時の小学生は心を奪われていた(多分)このデュエルはまさしく死闘であった。主人公の使うシャイニングフレアウイングマンが装備カードの力を得てエドフェニックスのエースカードであるシャイニングフェニックスガイを打ち破った瞬間、誰もが十代の勝利を確信したはずだ。

しかしエドにとってそこまでは茶番にすぎなかった。罠カード「D-タイム」を発動したエドが手札に加えたカードはDHERO。そこからこのデュエルは一変する。圧倒的な攻撃力を誇るシャイニングフレアウイングマンを軽く処理するデビルガイ、時間を操ると称され搦め手で十代を追い詰めるダイヤモンドガイ、「明鏡止水の心」とのコンボで無敵の耐久を誇るダイハードガイ、その全てを束ねて圧倒的な破壊力をもつドレッドガイ。これらのカードを前に無敵だったはずの遊城十代が敗北を喫するのであった。

この光景に少年すぎやまの心は鷲掴みにされた。たかだか攻撃力1400のモンスターが魔法やトラップを駆使して無敵の主人公を圧倒する。あの三幻魔を打ち破った主人公が手も足も出ずに敗北する。「攻撃力こそ正義。強いはパワー、パワーは強い」という小学生の考えを否定する「大人の遊戯王」がそこにあったのだ。