シン・ウルトラマンの感想 ネタバレあり

どうも

タイトル通り、シン・ウルトラマンをみた感想を書きます。
作品の内容というより、思ったことを2つ、書いていきます。

1.作品のテーマについて

この作品はかなりストレートにヒーローものファンを肯定しているなと思いました。

昨今のヒーローもの、というかマーベルやらDCの映画ですが、これらの作品は「混ぜ物」がされている印象があります。
ヒーローの物語を通じて、例えば正しいとはなんなのか、技術をどうつかうべきか、人種や性別の違いはどう扱われるべきかといった話をしています。
この傾向は、おそらくシンゴジラにもあって、あの作品では技術の環境への影響、あるいは進化の功罪を描いているように思います。初代ゴジラの流れでしょうか。

しかしシン・ウルトラマンからはそれをあまり感じません。
その理由はおそらく、物語中の問題のほとんどが人智の外にあるからでしょう。
宇宙からきたやべーやつにいじめられてる人間を、宇宙からきたすげーやつのウルトラマンが助けてくれる話ですから、問題も解決方法も基本的に人間起因じゃない、言ってしまえば他人事なのです。作中の出来事に共感しにくい。

しかし、その構造によって、ヒーローに感じていたプリミティブな気持ちに立ち返れました。ちびっこの頃、画面の向こう側のヒーロー達に抱いた、強いもの・かっこいいものへの憧れ、その強いものが我々を守ってくれているという安心です。
これらは本来、年を取って作品が虚構であると理解するにつれて薄れていきます。しかし、リアルな日本をベースに虚構を描いたシン・ウルトラマンは、その理解を伴いながらも童心に立ち返らせてくれました。

逆にいうとこの構造は「ヒーローもの好きになる理由、わかるでしょ?こういうの、いいでしょ?」と語りかけてくる構造とも言えます。
そのメッセージはそのまま、ヒーローものを好きであることの理由となって、ファンを肯定してくれるのです。

それどころか、この作品は観客をさらに肯定してくれます。

作品終盤、人類を滅ぼさんとする宇宙人によって放たれた強大な敵に、ウルトラマンはあっけなく敗れ去ります。
人類滅亡の危機に、起死回生の一手を与えたのは、ウルトラマンからサポートを受けた人類でした。
人類の叡知を結集させ、さらにウルトラマンと力を合わせることで危機を脱するのです。

つまり、人類はウルトラマンというヒーローに守られている揺りかごの中の赤ん坊ではなく、強大な敵にも打ち勝ちうる「ヒーロー」であると伝えてきています。
観客を「虎の威を借る狐」ではなく、「爪を隠した鷹」としてくれたのです。
なんだか、至れり尽くせりです。スケベ心すら感じます。

そんなわけで、ヒーロー好きを肯定していると感じました。

長くなったので、ふたつめは手短にします。

2.拉致されたウルトラマン

ザラブ星人の催眠で即落ちして椅子に縛られるウルトラマン、中野くんみたいでよかった。

おわり

MCUの話をするブログ

どうも

この記事は、MCU好きのキモオタがMCUの話をする記事です。
MCU見ようと思ってるひとが見てくれるとうれしい。
あとはMCU見てる人に「こいつわかってるな」って思われたい。
そういう記事です。


ブラックウィドウみまして。
映画観た後に映画のテーマについて考えるのがすきなんですけど、この映画結構深めな話してそうなんです。
「意志ってのはなんだろうか」って話で、そうなると他の作品のテーマのさらに手前になってきて。
すると昔の作品のテーマを考え直したくなってきましたし、その話を記事にしたくなりました。
ので、それをします。

とりあえず、ぱっと思い出せるやつをやります。キャプテンアメリカとアイアンマンとブラックパンサーです。
これらって割りとMCU全体に関わるので、振り返るにはちょうどいいと思います。


この作品は全部「正しいってなんだろう」ってテーマな気がします。
しかも全部「自分vs悪いバージョンの自分」って構図です。ありふれた構図ではありますけど。
だから観た後に感じることも似てるんですけど、結論が少しづつ違います。
それぞれ
キャプテンアメリカでは「正しい精神に基づく行動が正しい」
・アイアンマンでは「良い結果を生むことが正しい」
ブラックパンサーでは「過ちを認めることができることが正しい」
という結論になっているように思ってます。
さらに、これらのテーマは互いに関係しており、キャプテンアメリカとアイアンマンのテーマは互いに食い違い、しかしそれをブラックパンサーが完成させるイメージです。
具体的に話してきます。

キャプテンアメリカのはなし
キャプテンアメリカの一作目は、要約するとスティーブくんは高潔な精神を持っていて、だからヒーローで、邪悪な精神をもつレッド・スカルくんはダメって話です。
これはキャプテンアメリカの作品群に一貫していて、明らかに世界のバランスを崩すパワーを持ってても、精神の良し悪しでそれを正当化するって感じがあります。
でもMCUの中でこの考えの欠点が指摘されてて、例えば洗脳されて悪事働いてたバッキーはダメじゃね?ってなったりとか、ヒーローとして正しくあるためには市民の管理下いない必要があるけどそれって危険じゃね?みたいなことが出てます。ウケますね。

・アイアンマンのはなし
アイアンマンは、技術は人のために使えば正義だしそうじゃなきゃ悪だよって話です。これもキャプテンアメリカ同様、アイアンマンの作品群に一貫してます。
この考えもMCU内で欠点が指摘されてます。正義のために作ったウルトロンくん暴走して人に危害加えてるけどやばない?とか。正しい結果に重きを置きすぎると結局アクション起こせなくない?とか。

ブラックパンサーのはなし
前述の2つの話の妥協案というか、仲を取り持ち同じ方向に向かせてるのがブラックパンサーです。ちょうど初出もシビルウォーだし。
ブラックパンサーでは、なにか間違いをしたらそれを認めて正すことこそ正しさであるという話をしています。
その基でキャプテンアメリカとアイアンマンの正しさが共存するようになってるんです。
シビルウォーでは父親殺しの黒幕を殺さず、ブラックパンサーでは国を転覆して世界征服しようとしたキルモンガーと和解してます。
そもそもブラックパンサー単独映画では、ブラックパンサー自身が悪い側に立ってたこともあり、罪を憎んで人を憎まずというか、反省やら許しやらが根底に流れていますね。
エンドゲームでも最初に助けに来るのブラックパンサーですし、MCUの最初10年の答えになっている気がします。
ブラックパンサーかっこいいね。
続編たのしみだけど、俳優死んじゃったんだよなあ。

話し終わりました。
まんぞく。
こう見ると、なんかブラックウィドウの話って深そうな気がしませんか?
なのでみんな観てくださいね。

おわり

文責:すぎやま

つらつらと

ツイートはしなかったけど思い浮かんだことをつらつらと書きます。

・すし食べたい衝動に身を任せると予定すしで埋まりがち、3週連続ですし食うことになってる

エヴァおもろかった

・人にあげるものに困ったらチョコ買いがち、GODIVAとかいう万能アイテム、価格帯も広くて使いやすすぎぃ

・最近ぽんぽこちゃんねるっていうvtuberみてる。ときどき「ガチ恋ぽんぽこ」っていうのやってて、萌え声だしながらタガメ食ったりカブトムシ食ったり伊達政宗と結婚したりしてる。くっっっそおもろい

ポケモンとナガノがコラボしたグッズかわいい。気の抜けた絵のピカチュウのスリーブ、ほしいけど1,800円は悩む。カードやらんし

ロマサガRSおもしろいけど周回数えげつない。fgoより周回楽な分、要求される回数は倍とかいうレベルじゃない

ガンダムサザビー全然違う機体になっててくさ。似たようなことできるししてても弱かないけど。アチャキャン使わんが?

・魔剣伝説のcmすき。「あっしゃちょー、どーぞおとーりくださいー」みたいなやつが一番好きです

サイファ復帰からオスティアまで

どうも


昨日オスティア出まして。
チームメンバーの力ゆえとはいえど、せっかく2位を取ったんだからレポ書こうと思いましたけど、レポ書こうにも別に透魔カムイありふれてるしなあと思いまして。
それならサイファ復帰から付けていた日記みたいのがあるし、それをもとに成長記録を書いてからレポを載せればいいのではと思い立ちましたので、それを書きます。
日記を見返してみると、新しいものに取り組む際の人の誤解の流れが表れているので、サイファに限らず色んなことに役立つのではと思います。
また、成長記録を読んでからレポを読むと「あいつも3年間がんばってきた男なんだ。侮ってはいけなかった」と田岡(陵南のコーチ、木暮くんを侮っていた)の気持ちになれるでしょう。
f:id:aaaaaaaa370:20201123141600j:plain
このブログが、たとえわずかだとしても、みなさまのお役に立てれば幸いと思います。
いちおうつかったやつ
f:id:aaaaaaaa370:20201123142009j:plain

それではまずは成長記録を記します。






日付:10/22
出来事:
サイファ復帰を決める。
有識者3人からの助言に従い透魔カムイを作成。構築については、有識者の1人にして透魔アドバイザーの資格も保有するサカイさんのものをそのまま使用
コンセプトの認識:
リョウマ6cカムイ男を主軸に打点を作りつつ、サイラスリリスで相手の動きを妨害できることが強いデッキと認識していた。
基本的にはサイラスリリスで妨害しながら顔を詰めてゆき、トドメかその少し前にリョウマカムイ男の流れでショットを作るというイメージ。
振り返り:
基本的に令和サイファの知識はほぼ0からスタート(フォデス組んではしゃいだ以外なんもしてない)
この当時から「リョウマ6cカムイからのサイラスリリスで完封」という無敵要塞ザイガス作成プランは教えてもらっていたものの、「あんなこといいな できたらいいな」なものと認識していた。
f:id:aaaaaaaa370:20201123141717j:plain
実際は、透魔王の効果や6cカムイ男の絆回収があるため、狙いさえすれば成功率は高いのだが、当時はこれを主軸に据えようと思っていなかった。「そりゃ不思議なポッケ(リストバンドのこと)は叶えてくれるかもしれねえけどなぁ」と思っていた
f:id:aaaaaaaa370:20201123141930j:plain

日付:10/25
出来事:
一級透魔アドバイザーサカイからの指導&久々の公認&身内とのフリー。
大まかに動きを教えられる。その後公認に出たが、いまいち勝てないという感覚を得る。がしがし殴ってもいまいち殴り抜けることができず、リョウマ6cカムイサイラスリリス無敵プランもなかなか作れるものではない。後ろを触る手段が限られているのも相まって、殴りにリソースを吐いていると盤面形成が不十分になりがちで、そのため盤面作りに徹する相手に凌ぎきられると泥沼化orそのまま負けになってしまうという結果となっていた。
サカイさんとぺっぽこ曰く待つ方がいいらしいので、環境にいそうな真ん中とそのデッキのリソース確保方法をみて回ることに
コンセプトの認識の変化:
がしがし殴るという根底こそ変化しないが、最初から展開しまくって殴るというよりは、処理されないと思われるユニットのみ展開して殴る方針に転換。加えて相手のキーカードを抑えつつこっちのリョウマで殴りきって勝つというコンセプトに変化。
この段階でも無敵要塞ザイガス形成プランは夢物語と認識していて、あくまで中速のビートとして運用していた
振り返り:
実のところ、透魔カムイに関するアドバイスはこの段階でほぼ出尽くしていたように思う。なのでこれ以降の変化は、新しい知識を得たことによる変化というより経験を通じて理解の仕方が変化したことによるものになってゆく。
この段階で「待つ方が強い」というアドバイスを受けたものの、自分の認識する待ちは4弾くらいのエリーゼやらセネリオやらヘンリーみたいな「おまえがなんも出来なくなるまでリソース稼ぎまくって待つよ」な人たちだったので、「待つっていっても目的が不明」と思い聞いていた。有識者は「リョウマカムイサイラスリリスまで待つ」なのだが、自分は「相手が死ぬまで待つ」なので噛み合わないのも道理であった。
後述するが、「相手が死ぬまで待つ」にはリソース源がもの足りず、かつ他の奴らの方が「相手が死ぬまで待つ」が出来そうなので、だんだん早めに殴り殺す方針になってゆく

日付:11/8
出来事:
フリー
この日より前、黄色やエリーゼのリソース稼ぎ量を見て、透魔でガン待ちは厳しいかもと認識していた。
紫、シグルド、アクア入り透魔とのミラーの経験を基に「相手が死ぬまで待つ」はリソース的に厳しいと判断
「ガン殴りして相手に日和の選択肢を取らせ続ける」というコンセプトに絞ることに
コンセプトの認識の変化:
「相手が死ぬまで待つ」から「とっとと殴り殺す」に変化。
1cタクミが入ってきたりと攻撃的になってくる
振り返り:
このタイミングこそ、最もアドバイスから遠ざかったタイミングで、かつ誤解の流れが顕著に現れた一番重要なタイミング。
前述の通り、透魔カムイに求められる待ちとは「コンボが揃うまで待つ」ことなのだが、そこの認識違いによりアドバイスされたコンセプトを完全に捨てるに至る。
こうなったのには次の原因がある
1.待つ目的が明確でなかったこと。待つ目的は本来コンボパーツを揃えることだが、そういう認識をしていなかったこと
2.最初に取ったスタンスがユニット展開から殴るというスタンスだったため、リリスやサイラスなどのコンボパーツを序盤に盤面に並べてなんやかんや処理されることが多く、コンボの達成率が低くなっていたこと。結果コンボを使うことへの意識が低くなっていたこと

振り返ると誤解が発生する理由もわかる。それぞれ対策を考えると
1.最初にとことん他人の動かし方を見る。行動を取った理由とか考えずとにかく猿真似をする。
自分の中で合理的な手段を取ると、そのときに自分の見えていない要素を加味しない行動になる。すると、その要素が極めて重要なものであった場合、いつまでもそこに気付けずに停滞してしまう
2.これが強いだとか、そういった漠然とした認識についてはとことんメカニズムを理解しにかかる。一般に意志決定の際には「事象の発生確率×事象が発生した際の効果」を考えるべきと言われるが、当然ゲームにおいてもそれを考えるべきであった。今回の例で言うと、コンボの達成できる確率を低く見ていたから殴り殺すコンセプトを採用したが、これは理解をしようとしなかったことに起因している。

この辺の話こそ、ありとあらゆる要素に転用できることと思う。自分がなにかに取り組むにしても、他人になにか教えるにしても、この謂わば「誤解の流れ」を意識できるかで、成果を出す時間に大きな差が生まれるのではと思う。

日付:11/14
出来事:
特級透魔アドバイザー(日本に4人しかいない)サカイさんからの指導
クロムとのスパーリングを経て、前述の誤解が完全になくなる。
コンセプトの認識の変化:
コンボを達成して勝つ、そのために待つという認識へ変化。キングダムの合従軍編で媧燐がいってたやつ。
前述の誤解が完全に解けた形になる。クロムという相手が透魔カムイのコンセプト理解に最適だったということか
振り返り:
前述の誤解について、後から打ち消す方法がここに詰まっている気がする。結局のところ気付かないものには見せてやらせて無理矢理認識させることが有効なのだろう。これにて、少なくとも基本的な動きについては、理解した上でオスティアに向かうこととなる






ここまでが透魔カムイを使用するにあたり経験した一連の流れです。これをもとに透魔カムイをオスティアに持ち込み、見事チームが2位という輝かしき戦績を収めることができました。
それでは、ここからは、オスティアでの対戦リプレイをご覧ください。






1戦目 かむい
めっちゃ頑張ったけどまけた
2戦目 じる
めっちゃ頑張ったけどまけた
3戦目 まるす
めっちゃ頑張ったら勝った
4戦目 にの
めっちゃ頑張ったら勝った
5戦目 ゆりあ
めっちゃ頑張ったら勝った
6戦目 くろむ
めっちゃ頑張ったら勝った
7戦目 ふぃる
めっちゃ頑張ったけどまけた


つかれた

サイファのおもいで

触発されました
かきます

いちだん
おぼえてねえけどクロムつかってたきがする

にだん
おぼえてねえけどマークスつかってたきがする

さんだん
おぼえてねえけどマークスのかわかぶったカムイ女つかってたきがする

よんだん
おぼえてねえや

ごだん
おぼえてねえ

ろくだん
おぼえてねえ

ななだん
ハイドラ最強!!!ハイドラ最強!!!ハイドラ最強!!!
だれが至強か!?だれが至強か!?ドンドドンドンドドン!!!ハイドラ!!!




それいこう
ハイドラで負けすぎてやめた

ひさびさのでぃーひーろー

どうもすぎやまです。

真面目なブログを書いていたら


こんなこと言われました。
彼はドゥームガイの話が聞きたいようです。

たしかに。ブログの名前にそぐわぬ記事でした。
このままでは有限不実行となってしまう。

なので臨時にでぃーひーろーの記事を書きます。
デビルガイについてです。


デビルガイ、しってますか?
星3 攻撃力600 守備力800
アニメで一番最初に出たDHEROで、黒くてごっついあいつです。

オーバーデステニーを使えば、ディアボリックガイから出てきますよ
f:id:aaaaaaaa370:20200727195431j:plain
つよいですねぇ

単体でもなかなかやるやつですが、こいつの真価はコンボのなかにあります。
f:id:aaaaaaaa370:20200727195759j:plain
f:id:aaaaaaaa370:20200727195845j:plain

わかりますか?この意味が。

ギラザウルスss→相手の墓地から低レベルモンスター展開→デビルガイ召還→デビルガイ効果で相手のモンスター除外→リヴァイエールss→リヴァイエール効果で除外したモンスターss

どうですこの美しい流れ
寸分の無駄もない、遊戯王屈指のコンボです。

ちなみにくそよわいです

ゲームを「楽しむ」マインドセット

どんなゲームも突き詰めれば対戦であると言えるでしょう。
相手がコンピューターであれ人であれ、あるいは自分自身であれ、なにかと競い争うことが本質にあるからです。

そのなかでも、時代の流れ、通信技術の進歩によりゲームの中心に据えられたのは対戦ゲームかと思います。格ゲーやバトロワ系、MOBA、DCGなど直接戦うものもあれば、RTA音ゲーのようにスコアを競い合うものもあり、今日、多種多様なありさまで人は対戦を楽しんでいるのです。

さて、対戦ゲームは楽しいものですが、しかしその性質ゆえの欠点もあります。

勝てないと楽しくないのです。

それは欠点なのどうなの?と思うかもしれません。
そもそもゲーム自体、クリアできないモヤモヤを抱えるからこそクリアしたときの喜びもひとしおでありますし。
しかし対戦ゲームは、究極には勝率は5割です。対戦相手は、負け続けてくれるAIとは違い、自分と同じ人間なので、一部例外を除けば当然のことです。

ところが、そうなると、人間はだんだん負けの苦しみを強く感じてゆきます。上手くいったことよりも上手くいかなかったことに意識をが向いてしまう、ツァイガルニク効果と呼ばれる人間の本質です。

負けの苦しみが増えると、当然苦しくなってきます。そうなると、例えば態度が悪くなる、ゲームをやらなくなる、周りにあたってしまうなど、逃避行動を取りはじめます。
これらの行動は、社会と関わる人間のマナーという観点に立てば避けるべき行動であることは明らかです。しかし行動の是非とは無関係に、人間は反応してしまいます。よほど大人でなければ、我慢しようとも多少は出てしまいますし、我慢してもいずれ爆発してしまうこともあるでしょう。

ではどう対処しましょうか?

我慢できない、言うなれば対処療法が機能しない場合、考えられる対処法として、根本原因を取り除くことが挙げられます。

根本原因、この場合「勝率5割だと苦しみが勝る」現象の突破方法は、例えば勝率を上げたりと、いくつか考えられますが、もっとも現実的なのはマインドセットを変えることでしょう。

対戦すること自体が楽しい。

この思想に移ればいいのです。
この思想、他の苦しみにも有効です。例えばチーム戦で周りに迷惑かけちゃった、ゲームに時間やお金をつかってしまったなんて考え方にも効きます。そりゃ対戦すること自体が楽しいんだから「負けた=周りも楽しくない=迷惑かけた」とは思いにくくなるはずですし、楽しいものに対して主体的にリソースを割いてる認識になるので時間の浪費という感覚もなくなるでしょう。

でもこれはそんなに簡単ではありません。人は簡単には考え方を変えられないものです。私もこの段階で行き詰まって苦しんでいます。

どうすれば考え方を変えられるか。

これはもはや私にもわかりません。ので、道標として、また自戒の念もこめ、この記事では私の考えたことを記してゆきます。

ポイントは3つ
1.勝つこと以外の目標を建てること
2.自分の状態を認識すること
3.建てた目標に対し定性的な評価をすること

かのジュール・ヴェルヌも言っています。
「人が想像できることは 必ず人が実現できる」
頑張って行きましょう。


1.勝つこと以外の目標を建てること

そもそもなんで勝たなきゃいけないと思ってしまうのでしょうか。その対戦ゲームやってないけど幸せな人もいるわけだから、別にゲームに勝てなかろうが人生に影響はないはずです。でも対戦ゲームをやると勝ちたくなる。

これは単純に対戦ゲームの目標が勝つことだからです。そりゃそうですよね。
勝つことを目標に競い合うから勝てるとうれしいし負けるとくやしい。この心理は対戦ゲームの根底にあるもので、とても切っても切り離せるものではないように思えます。

では対戦ゲームの目標は勝つことしかないのでしょうか?そんなことはありません。

作ってしまえばいいのです。

独りよがりな机上論めいていますが、考えてみれば実は結構普通のことです。
例えば自分の成長を目標に据えてみましょう。別に負けても成長できますよね。むしろ負けたときほど成長できるとすら思えませんか?
あるいはキャラを動かすことそのものを目標に据えてみましょう。キャラ独特の動きをするとか、あるいはキャラのモーション見て楽しむとか。

勝つこと以外にも楽しめそうな気がしてきますね?

改めて、ポイントは勝つこと以外の目標を建てることです。
「勝つこと」という価値観に苦しめられるなら、いっそ捨ててしまおうというわけです。

とはいえそれができれば苦労はしません。そこでふたつめのポイント


2.自分の状態を認識すること

です。
メタ認知療法的ですね。
「ああ俺今勝つことに固執してるなぁ」と認識することで、その思想を打ち消そうという発想です。

ここで大切なのは、この方法によって完全に頭を切り替える必要はないことです。
あくまで認識するだけ。
そもそも勝てないときはネガティブな思考になりがちなので、この状態では何をしてもネガティブにものを捉えます。
その状態で完璧を求めてしまうと、上手くいかないこと可能性が高い上に、上手くいかないと余計苛立ってしまいます。そうすると
負けてイライラ→イライラしてるから自分の状態を認識しても改善できない→改善できないからイライラ
と負のスパイラルです。

あくまで認識するだけ、意外と効果ありますよ。

これらを踏まえて、最後に


3.建てた目標に対し定性的な評価をすること

これをしてください。あくまで定性的な評価です。

定性的という言葉は、特に理知的な人は嫌う傾向にあるかと思います。あいまいですし、問題を解決に導くには定量的な思考の方がいいように思えるからです。
確かにその通りです。しかし、思うに問題を発見したり捉え直すには定性的な思考の方が有用です。それは定量的な思考は数字に意識を取られてしまうからです。

勝つことを追い求めるのがつらくて違う視点を探しているわけです。この状況では「勝つこと以外に追及できるもの、心地よいと感じられるものはないだろうか」と考えるはずです。
ならば評価基準も「たのしい、心地よいと感じられるか」になります。
「この目標にむけてこんなことしたけど、なかなかいいなあ」みたいな。

ここで数字に頼ると、その数字を改善することに意識を取られて気持ちに目が向かなくなります。そうなると結局お題目がすげかわっただけで、同じような苦しみを味わうことになってしまいます。
なので定性的に評価をしてください。

もちろん、「俺はこの価値観でゲームしてくぞ!」というものが見つかれば定量的な思考も使ってください。結局のところ楽しむことが大切であるので、そのために定性的な考えが妨げになるなら捨ててしまうべきです。もちろんずっと定性的に考えてもいいです。
あくまで楽しみかたを見つけようという話です。それさえ達成できればなんでもいいのです。



以上が私の考える「ゲームを楽しむマインドセット」に至るための方法です。
自分自身、対戦ゲームに対してはまだうまく付き合えず、日々右往左往していますが、なんとか上手くやっていきたいと思っています。

同じような悩みをもつ人もいるかもしれません。なかにはゲームを辞めてしまいたいと思う人もいるでしょう。
でも、対戦ゲームは楽しいものです。勝つことに固執するあまり、結果その楽しみを捨ててしまうのはもったいない。
一緒にがんばりましょう。必ず上手くいきます。


最後に、私の好きな漫画の、特に好きなワンシーンでもってお別れとさせて頂きます。






















f:id:aaaaaaaa370:20200727192121j:plain
もんくあんのかころすぞ